初めての投稿なので、読みにくいところがあるかも知れませんが、私が本当に体験した話です。
私にとっては、悲しくて怖い体験でした。
これは私が小学1年生の時のお話です。
私の家は、父の仕事で2年ごとに県を転々としていて、その頃は沖縄に住んでいました。
とても暑い日の夕方だったと思います。
いつものように帰り道を歩いていた時でした。
その日は1人で帰っていました。
あともう少しで家に着くところで、後ろから
「ねぇ、遊ぼうよ」
と、囁くような声が聞こえて、
びっくりして後を向くと、誰もいませんでした。
気のせいかと思って、また普通に歩きだしました。
するとまた、
「ねぇ、遊ぼうよ……遊ぼうよ」
と聞こえてきました。
でも、後ろを向いても誰もいなくて、
怖くなって泣きながら走って、帰りました。
走っている間もその声はずっと聞こえていました。
ずっと繰り返し「遊ぼうよ」と。
あと、100メートルぐらいで家に着くぐらいの距離でその声が聞こえてきて、とてつもなくその距離が長く感じました。
当時、住んでいた所が門のあるマンションみたいな家で、その門をくぐったら
その声は聞こえなくなったんです。
よかったとホッとして、
でも、怖くてさっきのは気のせいだったんだと思い込み、忘れようと誰にも話しませんでした。
そして忘れた頃に、またその道から帰りました。
その時も1人でした。
すると、また同じ声が聞こえてきて、
今度は、はっきりと女の子の声で少しか細い声でした。
後ろを振り向いても誰もいなくて、また走って帰りました。
家の門をくぐるとまたその声は聞こえなくなりました。
でも怖くて、そのことを泣きながら
母に話しました。
その話を聞いて、母は、
「その子はどこかで亡くなっちゃった子なのかもね。
寂しくて、1人で歩いてるあなたに話しかけたのかもしれないし、助けてほしくて声をかけたのかもしれないね。
でも、遊んであげられないし、助けられないね。
だから、心の中で、
ごめんね。遊んであげられないし、助けられない。だから、ごめんね。
って言ってあげたら、その子も離れてくれるかもしれないよ」
と言ってくれたので、そうしようと思い、今度は、逃げないで話そうと決めました。
そして次の日、その道を帰りました。
また同じ場所でその声が聞こえてきました。
泣きそうになりながらも伝わるようにゆっくり歩いて、母の言葉を思い出しながら、心の中で何度も言いました。
「ごめんなさい。
遊んであげられないし、あなたを助けることはできない。
私じゃなにもしてあげられない。
許してください。本当にごめんなさい。ごめんなさい」
と言い終えたあと、走って帰りました。
その間は、「言い終えた、やった」という気持ちと許してくれるかなという気持ちでいっぱいいっぱいで、その声が聞こえていたのか、分かりませんでした。
その数日後、その道を通りました。
また、聞こえるのかなという不安でいっぱいでしたが、もう聞こえてくることはありませんでした。
よかった、伝わったんだと、
安心したのと同時に、母はとてもすごいと子供ながらに強く感じました。
数年たった今でも忘れられない体験で、まだ鮮明にその声を覚えています。
でも、そのことを母に話すと、
「えっ、覚えてないの?
他にもいろいろあったんだよ」
と言っており、
ここからは本当に覚えていなくて、母から聞いた話です。
その声が聞こえていた時、後ろからずっと赤いもんぺを着たおかっぱ頭の女の子がついてくると泣きじゃくっていたそうです。
でも、門をくぐると消えるんだそうです。
そのことを母は沖縄の友人に話したそうです。
その友人によると、そこは戦争の頃の防空壕で、亡くなった子なんじゃないかと、
また、その門の上にシーサーがいたから聞こえなくなったのではと話してくれました。
それを聞いて、シーサーは本物の魔除けで家を守っているのだと改めて思いました。
また、そのことが起こる前にもあり、
帰りの会の時に先生の話を聞いているのに、オルガンの音とおばあちゃん達の歌が聞こえてきて話が分からないと言っていたそうです。
その歌は戦争の頃に歌われた歌だったと祖母から知り、その歌を歌ってくれました。
その歌を聞いた私はこれだったよと母に話していたそうです。
今となっては不思議な思い出ですが、あのまま誰にも相談しなかったら、私にとって沖縄は怖い思い出になっていたと思います。
また、戦争の話を聞くたびにこのことを思い出します。あの女の子はもっと遊びたかったんだろうなと悲しくなります。
まだあそこにいるのではないかと思うと胸が痛みます。
でも、沖縄の暮らしはとても楽しかったです。
海は綺麗で、観光地も多いし、食べ物も美味しくて、また暮らしたいぐらいです。
長々とお話をしましたが、最後まで付き合ってくださりありがとうございました。