完全な隔離

118 名前: UMEX 04/05/15 02:14 ID:Ddw3GaRu

 今から60年前のことである。ある地方都市に、不幸な女がいた。彼女の名をA子としよう。

彼女は動物園の飼育係である。その頃、動物たちは食料や薬の不足で次々に死んでいた。動物達

の最後を看取るのは、A子にとってとても辛く悲しいことだった。A子の夫は出征中であり、姑

との二人暮しだった。姑は、結婚してからも仕事を辞めようとしないA子のことを、余り良く思

ってはいなかった。

 その頃、戦局は日々悪化の一途を辿っていた。大都市は連日のように空襲に見舞われ、A子の

住む地方都市にも、空襲があるかもしれないと言われ始めていた。そのような中で、動物園には

軍からの過酷な命令が届いた。空襲時に逃亡の危険があるため、猛獣たちを抹殺せよ、と言うの

だった。小さな動物達は死に絶え、残っていたのは猛獣や大きな動物達だけだった。軍の命令に

逆らうことは出来ない。動物達の抹殺は、餌に毒を混入するという形で行われた。毒の入った餌

を持っていくのは、A子の役目だった。毒の入った餌を食べても、動物達はすぐに死ぬことは無

かった。暫くの間悶絶し、やがてぐったりと息絶えるのだった。残っていた動物達は全ていなく

なり、園は閉鎖された。A子は、動物達の悲惨な最期を写した悪夢に、苦しめられるようになっ

た。

 園が閉鎖されてから、A子の気分が晴れることは無かった。そんな彼女に、更に追い討ちをか

けることが起きた。彼女の夫が、戦死したと言う知らせが届いたのだった。彼女の元に、骨壷と

は名ばかりの粗末な箱が送られてきた。中に入っている骨の欠片が、果たして夫のものかどうか

も分からなかった。その頃から、A子の精神は変調を来たし始めた。

119 名前: UMEX 04/05/15 02:17 ID:Ddw3GaRu

 A子の奇行が目立ち始めたのは、夫の葬式が終わった頃からだった。何もいない空間に向かって

動物がいると言い、餌をやろうとする。帰ってくるはずの無い夫が帰ってくると言い張り、食事や

服の準備をする。しかし、これらはまだましな方であった。同居している姑を最も悩ませたのは、

A子が時として、動物達を殺害する指示を出した軍への悪罵を、怒鳴り散らすことであった。姑は

このことにおののいた。もし、軍への罵声を警察や憲兵に聞かれたら・・・。姑は近所の人たちの

手を借りて、A子を病院へ連れて行った。医者はすぐにA子を精神異常と認め、市内にある大きな

精神病院へ入院させた。

 入院してからも、A子の病状は良くならなかった。この頃の病院は、人手と物資の不足から、満

足な治療が出来る状態ではなかった。薄暗い病棟の中で、A子は相変わらず、いもしない動物がい

ると言ったり、餌をやろうとしたりしていた。ある日、憲兵が院長との面会のためにやってきた。

憲兵が院長室に向かって廊下を進んでいると、その姿を見たA子は突然騒ぎ出した。「こいつらだ、

こいつらが皆を殺したんだ」そう叫ぶと、A子は憲兵に飛び掛ろうとした。A子はすぐに、近くに

いた医師たちに取り押さえられた。側にいた院長は、青ざめた表情でA子の独房入りを命じた。A

子は医師たちに引き立てられていった。院長は恐る恐る憲兵の顔色を伺った。だが、意外にも憲兵

は気分を害した様子も無く、涼しい顔をしていた。院長はほっと胸を撫で下ろした。A子はしばら

くの間、独房へ閉じ込められた。

 

121 名前: UMEX 04/05/15 02:20 ID:Ddw3GaRu

憲兵が来た日から、病院の様子が変わり始めた。患者が増え始めたのである。その多くは、県内や近県の小さな病院からの

転院者だった。症状の軽い患者の一人は、医師に何故最近患者が増え始めたのか質問した。医師は、空襲に備えて、各地の小

さな精神病院が、普通病院に改修され始めたためだと応えた。この頃、空襲は一段と激しさを増していた。家々には灯火管制

が敷かれ、夜の街は真っ暗だった。街のあちこちに、防空壕が掘られていた。病院の変化はそれだけではなかった。患者が増

える度に、医師たちは治療をする気を喪失していくようだった。

 少し経つと、病院は患者で満杯になった。ある夜、A子は空襲警報のけたたましいサイレンの音で目を覚ました。A子は、

ぼんやりとした表情で天井を眺めた。異常をきたしているA子にも、病室の中が妙に明るいことが分かった。灯火管制のため

の黒い布が、取り払われていた。A子は、鉄格子のはまった窓から外を眺めた。小高い丘に立っている病院の窓からは、街の

多くを眺めることが出来た。外は闇だった。灯火管制が行われていないのは、この病院だけだった。A子はふらりと廊下へ出

た。病院の中は異様な静けさだった。患者たちは皆、鎮静剤で眠らされていたのである。医師や看護婦たちは、誰一人として

残っていなかった。医師の部屋に放置されたラジオは、敵機の編隊がこの街に迫っていることを伝えていた。

 なぜ、この病院の患者が急に増えたのか。なぜ、医師たちは最早患者を治療する気をなくしてしまったのか。

そして、なぜ今この病院だけ灯火管制が行われていないのか。錯乱状態のA子に、そのようなことが分かるはず

は無かった。敵機の爆音は、もうすぐそこまで迫っていた。 (終)

 

 

 

 

最新情報をチェックしよう!

中編の最新記事8件

You cannot copy content of this page