彼女の手

これは、その子との話。名前は、仮にK子。明るい子で、実家が大富豪だったが、社会勉強も兼ねて職に就いたらしい。何度かデートをするうちに親密になり、運命の女性にすら思えた。まだお互いの親には面識がなかったが、将来の結婚も約束していた。しかし、そんな幸せな日々も長くは続かず、交際から半年後、K子は白血病で入院することになった。俺は毎日病院に足を運んだ。病状はかなり深刻らしく、休憩所でK子の母親が泣いている光景も、何度となく目にしていた。ある日、いつものように病室に二人でいると、K子が「もうお見舞いにこないで」と言った。驚いたが、細かく話を聞いてみると、これから先は、髪も全て抜け落ちるだろうし、ミイラのように痩せ細り醜く変貌する。そんな姿を俺には見られたくないし、綺麗なまま、ずっと覚えていてほしい。そんな内容だった。しばくの言い合いの後に、分かった。と返事をした。正直、俺もK子のそんな姿を見たくなかったのかも知れない。何より、愛した人が刻々と死に向かう有り様を、黙って見ているしかない現状に耐えられなかった。完全なノイローゼだった。

 

 

 

苦痛から解放されるためにK子のことを忘れてしまいたかったが、内心、恋しくて胸が張り裂けそうだった。それから数ヶ月経った、ある晩の出来事。俺は何かの気配を感じて、真夜中に、ふと目を覚ました。誰かがいる。生きた人間じゃない。俺は目を閉じたまま、身動きひとつ取れずにいた。すると、その何者かは、ゴソゴソと布団をまさぐった後に、俺の手を握ってきた。K子だ。手を握られた瞬間に思った。その掌は、氷のように冷たく、枯れ木のように痩せ細っていた。俺は目をあけて、K子を抱きしめようと思った。しかしK子と話した最後の会話が脳裏をよぎる。醜く変貌した自分を見られたくない。綺麗なまま覚えていてほしい。それが彼女の最後の意志だった。俺は、閉じてある目を、さらにぐっと閉じながら彼女を抱きしめた。そして彼女の手を握ったまま眠った。

 

 

 

そしていつも俺の手を握った。俺も目を閉じたまま、冷たく痩せ細った手を握り返し、時には抱きしめた。俺が起きている時は決して現れない。やはり自分の姿を見られたくないのだろう。数年経っても、まだK子の霊は現れ続けていた。それ故、俺は恋人も作らず、人間関係も薄く、周りからは暗い奴と遠ざけられる存在になっていた。ある日、電車でK子と出会った街を通る機会があった。辛くて逃げ出した街。しかし数年ぶりに見ると妙になつかしくなり、思い切って、電車から降りてみた。しばらく街を徘徊。K子とよく訪れた公園の前を通りかかった時、K子の母親が、大きな犬を連れて、前方から歩いてきていることに気付いた。俺は即座に自分の顔を手で隠した。K子の死に目にも会わずに逃げ出した男だ。恨まれているに違いない。そう思った。俺はうつむき加減に歩いた。あと少しですれ違う。そのくらいの距離になって、K子の母親は俺に気付いてしまった。「あら、久しぶりじゃないの」「あ、はい…」ぼそりと返事をした。そして続ける。「あの、すみませんでした」俺のその言葉から、会話の内容は彼女の思い出話になった。俺とK子の母親は公園のベンチに座って、K子の思い出を語り合った。どのくらい話していただろう、K子の母親は俺のことを恨んでいる様子もなく、犬を撫でながら色んな話を聞かせてくれた。「あの、K子のお墓はどこにあるんですか?今度お墓参りに行かせてください」俺がそう言うと、K子の母親は怪訝な表情を浮かべた。「K子、まだ生きてるわよ」俺は一瞬固まった。K子は完治して退院。そして数年前に恋愛結婚、子供もいるらしい。その事実を知って以来、俺は眠れなくなり、今では重度の不眠症だ。あの手は誰なんだ?

               

                                                                                                                                                                                                                                               

                                                                                               

 

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