板の文学

そんな私の価値観を崩壊させてくれた話をさせていただきます。五年前、就職し、念願の一人暮らしを始めた頃の話です。初めての職場、人間関係、そしてなにより住まい。新しい環境に胸をときめかせておりました。(といってもボロアパートだったんですけど)が、現実は厳しかった。思ったよりも仕事が上手くのみこめず、職場での友人も皆無。ただただ、時計を見つめながら時が過ぎるのを待つ日々。荒んでいく生活とともに、こざっぱりと整頓されていたアパートも、徐々に荒れ果てていきました。今思えば、軽く病んでいたのかもしれません。ある朝、起き上がるともう時計は10時を指していました。それを見た瞬間、自分の中で何かが弾けました。信じられないことに、携帯の電源を切って再び眠りについたのです。

 

 

 

コンビニでご飯を買って貪り、ゴミは床に放り投げる。後はひたすら眠り続ける。その時考えていたことは、「眠い」ただそれだけでした。一週間ほど経ったでしょうか。当初、あれだけわくわくした新居はもはやただのゴミ屋敷と化していました。文字通り足の踏み場も無かった。「眠い」と感じるままに眠りつづけてきた一週間。ただ、その日は違ったのです。何故か、「会社に行かなくては」という思いが頭をよぎった。ゴミにまみれ、くしゃくしゃになったスーツを着ると、ネクタイをポケットにねじこんで、「とにかく会社にいかねば」の一念で起床後2,3分ほどで準備を終えました。

 

 

 

ノブが中途半端な位置で止まってしまい、ドアが開きません。なんだこれ?そう思った直後、妙な映像が頭に浮かびました。誰かが、ドアの向こうでノブを抑えている映像です。ドアのスコープを反射的に覗きました。確かに何かがいる。ただ、スコープの位置が低かったため、胴体しか見えない状況でした。スコープ越しにその人物を睨んだまま、ドアを叩き、怒鳴りました。するとその人物はその場からフッと消えてしまいました。特に驚くこともせず、とにかく会社に行かねばの一心だった私は、ドアのノブをもう一度回しました。今度はノブが下まで降りてくれました。しかし、やはりドアはピクリとも動きません。スコープごしに覗いてみても、誰もいないのです。半狂乱だった私は、迷わず窓から出ようと考えました。(部屋は2階)ドアから手を離し、後ろを振り向くとそこに人が立っていました。驚いて尻餅をつき、口をぽかーんと開けて侵入者を眺める私。なんとその人物はそんな私を指さして笑い始めたのです。徐々に冷静になってきた私は、考えを巡らせました。霊なんてハナから信じていない私が出した結論は、「ああ、これは会社の嫌がらせか」というものでした。なにせ、その人物は黒のスーツに白いYシャツ、ネクタイという典型的なサラリーマンの風貌だったのですから。冷静さを取り戻すとともに、その人物の笑い方が気になりました。爆笑を抑えているような、なんとも不気味で不愉快な笑い方です。何か変だな、と違和感を感じたのと、それに気づいたのはほぼ同時でした。笑うたびにその人物は、TVのノイズが入ったかのようにブレていたのです。

 

 

 

その間にも段々とその人物のブレは酷くなっていき、サラリーマンの原型を留めないまでになっていました。とうとう私の頭は壊れてしまった。その時は本当にそう思いました。諦めたようにただ呆ける私をよそに、もはや人物と呼べなくなったそれは尚も横にブレ続け、やがて一枚の白い板になりました。もう死んで楽になろう、そんな考えが頭によぎったとき、その白い板の中央に小さな文字が浮かびました。本能的にその文字を読もうと、白い板に近づきました。そこには平仮名で「でんわ」と書いてありました。首を傾げると同時に電話の着信音が鳴りました。はっと体を起こし、電話を取ると会社からでした。上司は「寝坊か?」と笑っていました。寝坊どころか一週間ほど無断で休んだんですけど・・・と思い、日付を確認すると、なんと私が電話の電源を切り、サボった日に戻っていたのです。心の底からホっとしました。「よかったぁぁぁ」と安堵の声を漏らしてしまうほどでした。しかし遅刻であることに代わりはありません。急いで部屋を飛び出そうとドアのノブをひねると、悪寒が走りました。ドアが開きません。恐る恐る後ろを振り向くと、予想通り白い板が広がっています。泣きました。もう勘弁して下さいと声を上げて泣きました。白い板の中央に、またしても文字らしきものが浮かびあがります。泣きながらそれを読もうと近づく私。これを読めばまた元に戻れるかもという期待が少しあったのかもしれません。

 

 

 

看護師に話を聞くと、自室の窓を突き破って2階から飛び降りたそうです。怪我は、右足を骨折しただけで済んだそうです。会社にはベランダに干してあった衣類をとりこもうとして誤って転落したと伝え、完治するまで休職させていただきました。今では職場に復帰し、それなりに充実した日々を送っています。しばらくはドアノブを回すという行為が怖くて仕方なかったのですが。あの頃は新入社員としてわくわく感もあった反面、不安も大きかった。その不安が精神に変調をきたし、あのような幻覚を見せたのではないかなと思っています。未だに霊の存在は信じていませんが、もう馬鹿にしようという気は起きません。なぜなら、あのとき味わった「自分は壊れてしまったのか」という絶望感が忘れられないからです。霊を見たと豪語する人たちも同じような状態だったのだとしたら、とても笑う気は起きなくなってしまいました。ちなみに、二度目に見た白い板の文字はやたらと長文だった気がしますが思い出せません。

               

                                                                                                                                                                                                                                               

                                                                                               

 

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